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(18)

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私は今18歳で高校3年生である。

 

 

高校の卒業式はまだでギリギリ高校生、だ。

 

 

そして進路は進学希望でまだ大学は決まっていない。

 

 

かつ、私は私立大学の専願だ。

 

 

つまりは今はまさに私の人生の岐路である。

 

 

大学受験を経験したことがある人にはわかると思うのだが、

 

この2月中旬から下旬にかけての期間は私立専願者だけ空白期間となるのだ。

 

 

国公立の二次試験は2月最後の土日(恐らく)。

 

で、私立大学の一般入試は主に2月上旬。

 

私も2月上旬に試験を終えた。

 

そして今は合格発表のラッシュなのだが、、、

 

今のところ合格の通知が来ず

 

そこそこメンタルがやられている。

 

絶対に受からないと思って受けた大学だけど、それでも

 

やはりかなりショックだ。

 

第一志望の大学はネットで確認は出来るのだがもう番号を探す気力もなく、

 

郵便が届くのを待っていて、今日届かなかったので明日には恐らく届くと思う。

 

格通知もしくは不合格通知が。

 

 

まあ、勉強に対する反省はまた今度改めて書きたい。

 

 

正直もう第一志望に対する合格の自信はもうほぼなく(それでもまだ受かってたらいいなという少しの希望は持ってるのだが)

 

次の1年の自分の構想を練るのに大変だ。

 

私は私文で、私の通っている高校は頭がいいかは置いておいて、

 

就職する人はほぼいない進学校で、

 

9割以上の人が国公立大学を目指している。

 

その中で早々に私立大学を目指していた私は御察しの通りあまり勉強が得意ではなく、

 

そこそこ居心地が悪かった(笑)

 

その中で私が目指す大学も一流大学で、簡単に受かるようなところではなく、

 

まあ客観的に見れば勉強が苦手で忍耐力もストイックさもなく意思も甘かった自分にはとても受かるようなところではない、

 

本当にいい大学で難しい大学だ。

 

今はまだ一応考えていないが、私立大学には後期の入試もある。

 

後期の入試について考えるとやはり完全に頭が痛い。

 

色々考えるところはあるが、まあこのごちゃごちゃした気持ちを今どこかに書いておきたくてこのブログを書いた。

 

 

本当に受験に関しては色々思うことがあるのだが、、、

 

今の私にはあまり語る余裕がなく。

 

色々ぐるぐると悩んでいる。

 

まあ、、、書いたところでなにも解決しないからとりあえず寝るけれど、

 

また落ち着いて考えないとなあ。

 

 

はあ。

 

 

本当に、どうしよう!!!今の私

 

 

 

 

優しい

 

 

あるマンガを読んでいてふと思った。

 

優しいことってなんだったっけ、って。

 

優しい人、優しくすること、優しい行動、

 

小さい頃からたくさん聞いてきたけど、

 

思い返してみれば、「優しいから」という理由で先生や他の人から褒められてる人を私は見たことがない気がする。

 

もしかすると小さい時、幼稚園児の時とかなら友達におもちゃ貸して「優しいね」って幼稚園の先生に言われたかもしれないけれど。

 

少なくともわたしの記憶の中には優しいという理由で人から褒められてるのを見たことがない。

 

『優しい』行動は常に求められてきたものだし、それが人間としてあるべき姿なのだとも教えられてきた。

 

でも、優しいって何?

 

例えば、ペンとかハサミとか、教科書とか、なにか忘れた時に友達に「貸して」って言ったとする、

 

それで貸してくれたらもちろん有り難いし嬉しいのだけど、

 

もし「無理」って断られたとしたら、(断り方は置いておいて)

 

果たしてそれは『優しくない』行動になるのだろうか。

 

もしかしたらその友達は潔癖症で自分のものを人に使われるのが嫌なのかもしれない。

 

もしかしたらその借りたいものは友達が誰かから貰った大切なものかもしれない。

 

もしかしたら友達は壊されることを想定する慎重な人なのかもしれない。

 

それはただの価値観の違いではないだろうか。

 

結果として貸す貸さないは価値観の違いから来るものが多いと思う。

 

じゃあ、言い方は?

 

「ごめんね、これは貸せないんだ」

 

と言って

 

「そうなんだ、いいよ、ありがとう」

 

と言える人はたしかにいるかもしれないし、結果的に借りることが出来なくても気分を害されないという人もいるかもしれない。

 

けれど、わたしは

 

「ごめんね、これは貸せないんだ」

 

と言うと

 

「どうして?」

 

と言う言葉が返ってきそうで、それに返答するのが億劫でそうは言えないことが多い。

 

だからきっとわたしは

 

「なくてもなんとかなるよ」とか「わたしも使う」とか、適当に濁して答える。

 

でも、少しでも貸したくないという気持ちが表に出てしまったら、

 

それが言ってきた友達に伝わってしまったら、

 

「あ、私に貸したくないんだな」と思わせてしまう。

 

その気持ちは少なからずいいものではない。

 

また、「どうして?」と理由を問われることによってこちらの気分もあまり良くなくなる。

 

いちいち聞かないで欲しいな、と思うし、

 

たまに、食い下がって「えー、そんなに貸したくないの?」

 

と言う人もいる。

 

まあ正直に言うと鬱陶しい。

 

貸したくない気持ちを読み取ってスッと引く人が多いと思うが、

 

こういうことを言われるとさらにこちらの気分も害される。

 

その時に

 

【もしかしてわたしは今「優しくないね」って思われてるんじゃないか】

 

という気持ちになる。

 

友達からすればよくわからない理由で目的が達成されないのだから、私は優しくないのかもしれない。

 

それが納得いかないのだ。

 

何の理由があるかは分からないが、自分に都合が悪い=『優しくない』と捉えることが多いように思う。

 

それを区別して考えるのは恐らく無理なことであり、わたしとしては『優しい』という表現を使うのをやめるべきではないかと思うのだ。

 

 

 

 

例えば、先程のような友達に何かを貸す場面、

 

小学生くらいの子が先程のような場面になり、友達に何かを貸したとする。

 

それを見た先生が「Aちゃんは優しいね」と言ったとする。

 

しかし実はその借りた子はAちゃんの前にBちゃんに「貸して」とお願いしてたかもしれない。

 

そしてBちゃんは(このペン先週お父さんに買って貰ったばっかりだからなあ)と「ごめんね」と言っていたかもしれない。

 

その場合、Aちゃんを褒めた先生の物差しではBちゃんは『優しくない』子になってしまうのではないだろうか。

 

 

自分にとって何が気分を害するか、というものは人によって違う、

 

それを優しい優しくないというまるで客観的かのような言葉で評価するからよく分からなくなるのではないかと思う。

 

だから、道徳とか曖昧かつ勧善懲悪の世界でしか『優しい』という言葉はあまり使われず、

 

学校においても社会においても『優しい』ということによって評価されることはあまりないのではないだろうか。

 

わたしがもし友達に何か借りてその時に言う「ありがとう!やっぱ○○は優しい!」の優しい、はきっとわたしにとって都合がいい、ということなのだろう。

 

 

あ、もちろん『気遣う』ことはよく評価されることだと思う。

 

だが『気遣う』ことと『優しい』ことは別物だと思う。

 

けどまあ、今日はとりあえずこの辺で。

 

 

 

訃報

 


1月4日、新年から塾の授業に追われてる私に一つの通知が来た。

 


アバンティーズ エイジ 死去」

 


ツイッターの通知でこんなに驚いて震えたことは初めてだった。

 


アバンティーズ、は4人で活動してるYouTuberで、私は特別ファンというわけではなかった。

 


というか、YouTube自体そんなに見ているわけではなかった。

 


ただその中で一番見ていた、私の中のYouTuberは『アバンティーズ』だった。

 


私がアバンティーズを見ていたのはその悲しい知らせの1年半ほど前。

 


彼らの家が新しくなり動画のデザインが新しくなった時。プールを家の中に作ってた時。

 


初めて見た動画はなんだったのか、好きになった理由はなんだったのかは忘れたけれど、

 


アバンティーズのメンバーが大好きでデザインが大好きで企画も大好きだった。

 

HELLO!NEW AVNTIS の動画が本当に大好きで、何十回も、多分百回ぐらい見た。 


私が動画を見ていた時に一番記憶に残っていた動画は有名YouTuberからお年玉をもらう動画だった。

 


私はもともとあまりYouTubeを見ていなかったが、その少し前の一時期ワタナベマホトの動画を見ていたことがあった。

 


その時にそらちぃがマホトの動画に出ていて、それまで私が知ってるアバンティーズはそらちぃで、そらちぃのことはすごく印象に残ってたし、アバンティーズといえばそらちぃ、だった。

 


でもアバンティーズの動画を見始めていちばん私の目を奪い、存在感を表し、そして惹かれたのは彼、エイジだった。

 


画像で見た時やたまたま目にした時とは違う、アバンティーズの動画の中の彼は輝いていた。

 


私は、YouTuberは芸能人よりも近い位置に感じられてその人となりが見られる仕事だと思っている。

 


彼らのプライベートと仕事は切り離されてるようでプライベートが仕事、それがYouTuberだと思っていた。

 


だから、アバンティーズの動画を見ていると彼ら自身のことを勝手に知った気になっていたし、彼らの人となりを知れた気がした。

 


私のエイジへの印象は、頭が良くて、結構上手いことやれるけどたまにダサくて、面白くて、どこかかっこいい。そして周りを愛していて周りに愛されている。そんな印象だった。

 


私はもうひとつ見てるYouTuberがいたが、そのYouTuberと違うなと思ったのは、アバンティーズは本当に周りから愛されてるグループだった。そしてその中心にエイジがいた。

 


彼には人を惹きつける魅力があった。

 


私はアイドルを応援しているのだが、YouTuberに対してアイドルのようにキャーキャー応援するのは如何なものかと思ってきたけれど、

 


改めてよく見てみると彼らにはそれほどの魅力があったのだなと思える。

 


彼が遺したものは大きかった。

 


私は彼の訃報を聞いてから3日後ぐらいに久しぶりにアバンティーズの動画を見ていた。

 


こういった時に昔の動画をわざわざ見る心境がわからない人もいるかも知れない。

 


私も見たら苦しくなることがわかってた。

 


だけど、私は自分の中でのアバンティーズ エイジを殺したくなかった。ずっとずっと自分の中で生きてて欲しかった。

 


彼のことをずっと覚えていたかったから、目に焼き付けるために動画を見始めた。

 


私が見ていなかった1年の間にもたくさんの動画が投稿されていて、見た覚えのある動画もあったけど、初めて見て気づいたら爆笑してしまった動画もあった。

 

 

 

気づいたら笑っていた。

 


特に意識をしてたわけじゃなく、見たら悲しくなるかもと思って見たのに、笑えた。

 


すっごく面白かった。

 


前も友達に「アバンティーズって面白いよ!ねえ面白いから見てみなよ!」って言っていたけれど、改めて見たらもっともっと面白く感じた。

 


そしてふと、動画と動画の間にこのアバンティーズはもう見れないのだなと思い暗くなる。

 

 

 

 

 

 

 


さっきも言ったように、私は普段アイドルを応援している。

 


一度、私が大好きなグループのメンバーのひとりが、精神的な病気で芸能界にも残らず、休止からグループを去ったことがあった。

 


どこかできっと働いて笑ってご飯を食べて誰かと一緒に生きているんだろうけど、

 


私の中での彼女は死んだのだなと思った。

 


アイドルの彼女しか知らない私は、彼女が一般人になってしまったら、会う術も言葉を伝える術もなく、

 


一生会えなくなってしまう。

 

 

もし彼女がこの世からいなくなってしまうことがあっても、それすら知れないかもしれない。

 

 


だから、好きな芸能人が芸能界から去るということは、自分の中でその人が死んでしまう、

 


私とその人が交わることは一生なくなってしまうのだと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 


私は前述したように、アバンティーズのファンというわけではなく、ただ気まぐれにみるいちリスナーにしか過ぎなかった。

 


ツイッターも全員フォローしていたけど、メッセージを送ったこともなかったし、

 


友達にも勧めるもののそんなに話をしたこともなかった。

 


イベントに足を運ぶこともなく、きっとこのことがなくても私の人生は彼らと交わることはなかった。

 


イベントに行って会って話すわけでもなく、SNSでメッセージを送るわけでもなく、

 


ただ楽しむために私が彼らの動画を見ていたというだけの関係。

 


それはきっと私の中で生きていたとは言えなかった。

 


彼らがどこかで生きていても私には知る由もなく、動画は気が向いたら昔のものを遡って見たりするだけで、毎日毎日新しい動画を見ているわけでもなかった。

 


ただ、エイジが亡くなったことを知って、私はこれは違うと思った。

 


これからの私の人生に影響を与えられることはきっとなかったと思う。

 


だけど、ものすごく悲しかったし、あり得なかったし、信じられなかった。

 


自分の毎日の生活の中で彼のことを思い浮かべていた訳ではなかった。

 


でも本当に悲しくて、どこかにいればいい人のはずが、どこにもいなくなったらこんなに悲しくなるものなのかと思った。

 

 

 

私の中で死ぬこととは確実に違うと思った。

 


会えなくても私の人生と交わらなくても、どこかで誰かと笑っていてくれることがとても大切なことなんだなと思った。

 


アバンティーズが私の人生に及ぼした影響は決して大きいものではなかった。

 


けれど、エイジが亡くなったことによって、

 


その後から彼らの動画を見返したことによって、

 


私に与えた影響は確実に大きく、彼を私の中で一生生きさせるものになった。

 


私の中で彼はまだ生きているし、ずっとずっと、忘れたくない存在だ。

 


皮肉なことに彼が亡くなってからアバンティーズのいいところをもっともっと知れた。

 


アバンティーズは素晴らしい。

 


3人がまたアバンティーズとして活動してくれたら、私は必ず応援する。

 


アバンティーズ、を終わらせて欲しくない。

 

 

 

エイジさんへ、あなたにとって私は数回の再生回数しか与えられなかった存在だったけど、あなたの動画には笑わせて貰って、毎日頑張ってました。

 


勝手に身近に感じてたけど、すごく遠い存在なんだなあと今になって感じさせられます。

 


あなたは、あなたが受けていた声援やコメント以上にたくさんの人を笑顔にしてたくさんの人の生活に彩りを添えていました。

 


もうあなたがこの世にいないということは信じられず本当にやるせない気持ちでいっぱいですが、

 


あなたが遺してくれたものをこれからも大切に、あなたの存在を私の中に残していきたいと思います。

 


あなたがいなくなってしまってもあなたの動画は面白いし、いつでも身近に感じられてしまう。

 


あなたが天国でも笑っていることを願って、アバンティーズのいちリスナーとしてわたしもたくさんのことを乗り越えて頑張ります。

 


沢山の笑顔と元気をありがとう。

 


ただのリスナーの1人だけど、あなたのことは絶対に忘れません。

 


エイジさんもこれからも楽しくいて欲しいな。

 


本当にありがとう。

 


ニュースを聞いて今までどうしても信じられなくて、納得がいかなくて言えなかったけど心から思ってます。

 


ご冥福をお祈りします。

 

 

 

はじめまして

はじめまして。

 

18歳の高校3年生です。女です。

 

ふと、考えてるけど友達にも話しにくくて頭の中に溜まっていってるものを整理したいなと思って

 

ブログ開設しました。

 

自分の記録にもなるし、もし誰かが見てくれてるなら嬉しいし。

 

ということで、誰か読んでくださる方がいらっしゃったらよろしくお願いします。